2009年12月25日金曜日

元町公園 塗装発祥の地


1854年(嘉永7年)2月13日、ペリー再来航の際、林大学頭が江戸の
渋塗職人町田辰五郎に通商交渉を行う横浜応接所
(現在の横浜外交資料館付近)建物外部のペンキ塗装を命じて、
これがきっかけで、町田辰五郎は幕府からペンキの一手取り扱いと、
外国公館(領事館・公使館)塗装の特権を与えられた。
1856年(安政3年)にアメリカ総領事ハリスは、
神奈川宿本覚寺を領事館と定め、本覚寺をすべて白ペンキで塗った。これを機に、本覚寺に「全国塗装業者合同慰霊碑」が建立された。 1865年(慶応元年)に大工のT.S.スミスが塗装業を始めた。日本人では伊藤幸太郎と桜井鉄五郎が
ペンキ塗装業を始め、1872年(明治5年)鉄道建設の停車場の工事を請け負った。
長崎の湊公園には、「近代塗装伝来之碑」があり、碑文によれば、本格的なペイント塗装は、
幕末から明治初年にかけて導入された洋風建築に始まり、18世紀半ば頃には、すでにペイント塗装が行われていた。 また、元町公園にある我国塗装発祥地いわゆるペンキ発祥の記念碑と、元町公園とは何ら関係がない為、何故元町公園に建てられたか、いまだに分かっていない。

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