2009年12月25日金曜日

代官屋敷


幕末開港前後、横浜村名主、当主石川徳右衛門は、
日米和親条約締結の為応接場の設営、食料、
その他の設備一切を掌りました。
嘉永7年(1854 年)4月6日ペリーが横浜村に上陸し、
住民の暮らしぶりを視察した折に屋敷を訪れ、
徳右衛門が供応した様子が、ペリー提督日本遠征記,に記されている、 その後徳衛門は横浜町惣年寄となり
町政を担当するようになった、
代官坂の名は坂の途中にある横浜村の元名主石川家に由来している。
横浜村周辺は、開港期には神奈川奉行預かりとなり石川家は代官ではなかつたが、
ペリーが横浜村名主を町長と考え表啓訪問した為に呼ばれるようなったなどのいくつかの
言い伝えがある。それで明治20年代から、石川家が代官屋敷、
旧箕輪坂が代官坂と呼ばれる様になった。
石川家は石川町の町名の由来でもある。

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