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2010年1月9日土曜日

外国郵便創業の地


1875(明治8年)在日本外国郵便局が扱っていた
外国郵便物が日本の郵便局(現在の港郵便局)で始まった。

2009年12月25日金曜日

西洋歯科医学発祥の地


米国人ウィリアム・ストレーキ博士が日本初の歯科医療所を始めた地

新聞発祥の地


1864年(元治元年)海外情勢を伝えるためジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵)が
外国新聞を翻訳編集して、日本初の邦字新聞「海外新聞」を
発刊した。関帝廟横の重慶飯店歩道沿い。

ホテル発祥の地


1860年(万延元年)オランダ人船長C.J.ヘフナーゲルにより、
日本初の「ヨコハマホテル」が開業した。
山下町70番のレストランかおり入り口に碑がある。

電信発祥の地


横浜電信局と東京電信局で初めて電報の取扱が行われ、
電波模様の石碑が横浜地方検察庁の玄関脇に設置されている。

テニス発祥の地


我が国最初の洋式公園として歴史に名を残す「山手公園」は
1870年(明治3)に完成しました。最初のテニスは横浜の居留地外国人専用の
レクリエーションの場として、この「山手公園」に1878年(明治10)
レデース ローン テニス アンド クロッケークラブ(現在の横浜インターナショナルテニスクラブ)が
5面のテニスコートを建設したことに始まる。
この記念碑は1978年(昭和53)クラブ設立100周年を記念して、
グラウンドで使われていた石の整地用ローラーを削って作られ、
側面から見るとローラーと判別できる。

横浜ボウリング発祥の碑


861年(文久元年)6月22日、日本で最初にボウリングが伝わったのは
長崎である。 当時長崎で発行された社交サロン店主
ヘンリーギブソンが新装開店を告知した広告に記録が残っている。
これが日本で最初のボウリング場である。ボウリング場はスナックバー風の設備も整っていて、
外国人たちの社交の場とレクリェーションの場となっていたのである。
現在、これを記念して、6月22日が「ボウリングの日」とされている。
2番目にボウリング場ができたのは、3年後の1864年(元治元年)、
横浜である。 今現在、開港当時外国人居留地であったフランス山公園に石碑がある。
これは平成7年に、横浜初としての「横浜ボウリング発祥の碑」が建てられた。

機械製氷発祥の地


横浜村が開港してからまもなく横浜港に氷が輸入されてきた。
また当初の氷はボストンと函館の氷が輸入されていたが、
ボストンの氷は横浜まで長時間掛かるため高価な氷とされていた。
その氷で元町周辺の居留地で商売をしていた外国人も居たほどである。
そして、函館からの氷は、頻繁な外国船の出入と言う海運の利便さが大きく横浜や東京に輸入された。
日本人では中川嘉兵衛が1864年の11月に「氷売り込み」を出願し、
氷の切り出しから各地で試みて失敗したが、1869年に函館氷の出荷に
初めて成功する。日本の機械製氷の歴史は福沢諭吉が熱を出したことが始まりとされている。
また、1879年には元町周辺にオランダ人ストルネブリンクが経営していた横浜初めての機会製氷工場が創業した。その後も経営者は何度か変わったが、関東大震災の1923年まで経営を続けていた。

パン発祥の地(ウチキベーカリー)


日本で始めて、パンの製造を始めたの日本人である。
フランス軍艦ドルドーニュ号乗り組みのコックから手ほどきを受け、
日本の小麦粉で「ゆでだんご」のようなパンを焼いた。
1860年、「お貸長屋」(現在の横浜開港資料館の辺り)で、
「パンのような焼饅頭のようなものパン」を焼き、「和風パン屋」として
開業する。その日本人が内海兵吉であると言われている。
1861年(文久元年)に開業するが、11月グッドマンの家が全焼し、
翌年2月に「横浜最初のヨーロッパ風パン屋」を新規開店する。
1864年、グッドマンは病気のため一時日本を離れるので、その間、ロバートクラークに任せた。
グッドマンは1865年に再び来日し、営業を再開している。
1865年(慶応元年)8月、ロバートクラークは横浜で「横浜ベイカリー」を開き、35年パンを焼き続けた。その後、「横浜ベイカリー」は色々な説があるが、1875年(明治8年)に打木彦太郎が継承したのである。その後、宇千喜麺麭製作所と称する。 そのパン屋が、元町にあり、今も営業している「ヨコハマベーカリーウチキ商店」である。

元町公園 塗装発祥の地


1854年(嘉永7年)2月13日、ペリー再来航の際、林大学頭が江戸の
渋塗職人町田辰五郎に通商交渉を行う横浜応接所
(現在の横浜外交資料館付近)建物外部のペンキ塗装を命じて、
これがきっかけで、町田辰五郎は幕府からペンキの一手取り扱いと、
外国公館(領事館・公使館)塗装の特権を与えられた。
1856年(安政3年)にアメリカ総領事ハリスは、
神奈川宿本覚寺を領事館と定め、本覚寺をすべて白ペンキで塗った。これを機に、本覚寺に「全国塗装業者合同慰霊碑」が建立された。 1865年(慶応元年)に大工のT.S.スミスが塗装業を始めた。日本人では伊藤幸太郎と桜井鉄五郎が
ペンキ塗装業を始め、1872年(明治5年)鉄道建設の停車場の工事を請け負った。
長崎の湊公園には、「近代塗装伝来之碑」があり、碑文によれば、本格的なペイント塗装は、
幕末から明治初年にかけて導入された洋風建築に始まり、18世紀半ば頃には、すでにペイント塗装が行われていた。 また、元町公園にある我国塗装発祥地いわゆるペンキ発祥の記念碑と、元町公園とは何ら関係がない為、何故元町公園に建てられたか、いまだに分かっていない。

バプテスト教会発祥の地


明治7年(1874年)、坂の上(山手町75 番地)にバプテスト自由伝道協会の
ネーサン・ブラウンが教会堂を建て布教の拠点としましたが、
火災で焼失しその後、1873(明治6)年に宣教師ブラウン、
ゴーブルなどによって横浜第一バプテスト教会が建てられ、
明治27年(1894年)ベンネット(関東学院初代校長)が
横浜第1バプテスト教会と称し、教会堂を坂の途中(現在 元町2丁目80番地)に移転しました。
大正12年(1923年)寿町に移転し、跡地に「日本バプ テスト発祥の地」の記念碑を建立しました。